博士人材を支え、育てる

特集 2022.03.22

日本では近年、大学院博士課程に進学する学生が減少傾向にある。進学後の経済的な不安と、修了後のキャリアパスが見通せないことが主な要因と考えられている。将来の研究開発やイノベーション創出の原動力となる人材を支え育てていくため、新潟大学が取り組み始めた新たな支援の動きを追った。

博士学生を取り巻く国内の現状

新潟大学に限らず、国内の大学では博士課程に進学する学生の減少傾向が続いている。優れた研究力と高度な専門性、豊かな発想で社会に変革をもたらす博士人材は、地球温暖化や自然災害、少子高齢化、SDGs、DXなどにおいて、現代社会が抱える複雑な課題の解決に不可欠だ。一方で、現役学生に聞くと「博士課程まで進むと社会に出るのが遅くなり、就職などへの不安がある」という声も多いようだ。博士人材が社会で活躍できるよう、彼らに対し、大学のキャリアパス支援の充実、企業の理解?積極的採用など、周囲の環境改善が急がれている。新潟大学における博士課程を取り巻く現状と取組について、牛木辰男学長に聞いた。

「一般的に大学院に対して抱くイメージはどのようなものでしょう? おそらく理系学生なら学部で4年間学び、その後、大学院で2年の修士課程を終えて社会に出る、というものではないでしょうか。卒業後の社会での活躍や就職を有利にするには修士で十分だと思われているように感じます。日本社会では『学びの本当のゴールは博士』だという意識が非常に低いように思います」

日本における大学の概念や制度は明治期にヨーロッパから導入された。当時は大学に行くこと自体がエリートの証であり、その中でも博士課程は専門の研究だけに留まらず、本当の社会的エリートを育てる場であった。

「欧米で博士の学位を持つ人物の活躍の場は研究分野に限りません。企業のトップの肩書にも『博士=PhD』と書かれている人が多くいます。博士は、一つの専門だけでなく、それを中心にした幅広い教養を持っている人物として理解されています。博士とは社会的な地位を保証され、信頼される存在のこと。企業のトップに立つ人の条件』や『教養を持ったエリート』として位置づけられているのです。それが日本社会では決定的に欠けている。『博士=研究者』という限定的なイメージは、日本独特のものなのです」

このような背景には、日本企業が持つ制度や仕組みの中で「博士=幅広い知識やビジョンを持つ人材」という側面が理解されず、組み込まれてこなかった経緯があるようだ。グローバルな世界において国際競争力を高めるために、博士人材の活躍は不可欠であり、彼らへの理解が浸透する社会づくりを目指す必要がある。

牛木辰男 学長

最先端の研究を遂行する能力は社会の様々な場面で応用可能である

PhDリクルート室と二つの事業を通じた博士人材支援とキャリアパス展開

新潟大学における博士課程の学生支援を新たに進めているのは、昨年度、新設されたPhDリクルート室だ。キャリア相談や講義セミナー、企業とのマッチング、企業訪問を通して博士学生のキャリア開発を進めている。プログラムは社会との接点を強く意識させることを念頭に置いている。「メンターによる研究環境支援、各種セミナーによるトランスファラブルスキル*の育成、企業とのマッチングなどを通したキャリアパス多様化支援を行うことで、博士学生が研究力とともに社会人スキルを養い、自らの知識や技術に対する社会のニーズのありかに気付くことができます」と末吉 邦理事(研究?大学院担当)は話す。

また、PhDリクルート室の取組は、企業側が博士学生に求める人材像を明らかにするものでもある。

「企業は博士人材が持つ、研究を通して身に付けた俯瞰力やチャレンジ精神、課題解決能力に期待しているようです。一つの研究を完成させ発表するという一連の作業には、高いレベルの知識と専門性が必要です。それだけでなく、同時に周囲とのコミュニケーション能力を持ち合わせていることが重要なのです。またPhDリクルート室が開催するセミナーには一般社会で活躍している先輩ドクターも参加してくれます。現役の博士学生が彼らの経験やマインドに触れることができる点も有効です」

篮球比分直播3年度、新潟大学における博士人材の支援策はさらに強化された。その柱の一つが、文部科学省の「科学技術イノベーション創出に向けた大学フェローシップ創設事業」に採択された「新潟大学フェローシップ」だ。これは博士(後期)課程の学生が研究に専念できるよう、研究専念支援金(180万円※生活費相当額)と研究費(20万円)からなる3年間の経済的支援と、キャリア形成支援を全学的な戦略下で実施するものである。

「本事業では、産学官の広い分野でイノベーションを起こし、グローバルに活躍できる博士人材を育成するべく、アカデミア?産業界双方を見据えた多様なキャリアパスが選択できる育成プログラムも提供しています」

もう一本の柱は、「未来のライフ?イノベーションを創出するフロントランナー育成プロジェクト」だ。こちらは科学技術振興機構(JST)が公募した「次世代研究者挑戦的研究プログラム」の採択を受け、篮球比分直播3年度後半からスタートした。博士(後期)課程の全研究科を対象に優秀な学生を選抜し、経済的支援(180万円)と研究費(40万円)の支援を行うとともに、様々なキャリアパス支援に向けた取組を行う。

「本プロジェクトでは、既存の枠組みにとらわれない挑戦的?融合的な研究に取り組むことができ、また多様な分野でイノベーションを創出できる次世代の博士人材を育成します。新潟大学フェローシップと同様に、学位取得後には期間中に培った能力を生かして産業界を中心に広く社会で活躍することが期待されます」

これら二つの事業とPhDリクルート室の取組を通して育てられる人材像はどのようなものなのか。「最先端の研究を遂行する能力は、社会の様々な場面で応用可能」と末吉理事は続ける。

「博士学生には産業界や自治体などの組織で、自身の研究活動で培った能力を発揮してほしいと思います。研究の醍醐味は、自ら問いをたて、試行錯誤しながら物事の本質に迫っていく過程にあります。そしてその過程にはディスカッションが必要になります。ディスカッションにより色々な意見を取り入れ、ディスカッションを経て鍛えられていく。これはどんな分野にも応用が利く営みです。物事を前に進めていく上で最も重要なことの一つでしょう。他者と関わる中で新しい何かを生み出す――それがイノベーションの根底に流れているマインドではないでしょうか。博士学生が研究仲間と苦労をわかち合いながら、そのようなマインドを醸成していけるよう、サポートを続けていきます」

*汎用的で且つ社会のどこにおいても必要とされる応用?転用可能なスキル

末吉邦 理事(研究?大学院担当)?副学長

 

グローバル社会において博士人材の活躍は企業間の交渉を左右する

マルチラボシステムと院生間の交流による研究のボトムアップ

続いて話を聞いたのは新潟大学の次世代研究者挑戦的研究プログラム事業を統括する本田明治教授。「グローバルな世界において、高い水準の研究力と知識を持つ博士人材の活躍が、企業間の交渉を左右する」と話す。

「海外に目を向けると、企業と企業の重要なやり取りの場面には博士の学位を持つ人物が多くいて、それが標準化しています。昨今は日本の産業界にも海外のような道筋ができてきているように感じますが、博士人材の採用は企業側にとっても事業の新たな切り口を見つける一助になると思います。今年度は、リクルートフォーラムという博士学生と企業の対面型マッチングイベントを開催し、非常に好評でした」

また、本プログラムにおいて新潟大学が展開する「未来のライフ?イノベーションを創出するフロントランナー育成プロジェクト」の特長は、マルチラボシステムによる挑戦的?融合的研究展開力支援である。

「マルチラボシステムは総合大学の利点をいかした分野横断型のプロジェクトです。学生は所属研究室と異なる研究室で一定期間(3カ月を基本)、研究に従事し、研究の融合性や学際性を高め、挑戦的?融合的研究展開力の涵養を図ってもらいます。人文社会科学系、自然科学系、医歯学系を越えた研究室交流を積極的に推奨しています。企業が博士学生に高い研究専門力を求めるのは当たり前です。それに加えて多角的視点と応用力、展開力を育ててもらいたいと思います。所属する博士学生が増えることは、研究室としての成果を出すことに直結しますし、大学全体の研究力アップにも繋がります。マルチラボシステムを通してこれまで以上に多様性を持った博士人材が増えていくと思います」

さらに、学生の研究コミュニティを重要視しているのも特長だ。

「院生会と連携しながら学生同士の横の繋がりを積極的に作り、意識の高い学生同士の交流を進めていきます。最終的にはそこでイノベーションを起こすような研究が生まれ、それぞれの研究室に成果がフィードバックされていくのが理想です。指導教員からのトップダウン型の研究ではなく、学生からのボトムアップ型の研究が増えるような土壌作りに取り組みます」

次世代研究者挑戦的研究プログラム事業統括 本田明治 学長特命補佐/自然科学系教授

 

イノベーション創出に寄与する人材を育てることは総合大学としての使命

未来のライフ?イノベーションのフロントランナーとして

学士や修士よりも、さらに広い視野と教養を持つのが博士人材である。そのような博士人材に対する視点と理解を社会に広げること。同時に、大学は社会から必要とされる博士人材を育てなければならない。新しい時代を牽引する知識と見識、行動力を身に付けるために博士学生は、研究や学会発表だけでなく、グローバルな課題意識を常に持ち続けることも期待される。博士学生への様々なサポートに取り組みつつ、新潟大学が育成する博士の人物像とはどのようなものなのか。その答えは、新潟大学が策定した「新潟大学将来ビジョン2030」に掲げられた「未来のライフ?イノベーションのフロントランナーとなる」の一文に集約されている。特集の総括として、再び牛木学長に聞いた。

「本学におけるライフ?イノベーションの定義は、医療?健康?福祉分野に留まらず、21世紀を生きるわれわれの生命、人生、生き方、社会の在り方、環境との関わりと、それらの土台となる地球や自然についての新たな価値と意味を生み出すための革新です。『ライフ?イノベーションのフロントランナーとなる』ということは、多様な分野でイノベーション創出に寄与する人材を育てること。それは多様な学部を有する総合大学としての大きな使命であり、その利点をいかし、融合的な大学院教育を行う必要があるのです。また、地方の国立大学としては地域協創に寄与する人材育成も大きなテーマになります。日本酒学の活動や、大学病院の医療連携、佐渡自然共生科学センターでの研究や取組と成果はその象徴的なものでしょう。新潟大学の博士学生たちは、未来を牽引する研究者になるのだということを強く意識してほしい。専門を深めることは、応用分野の裾野を広げることでもあると理解し、将来の社会のリーダーになることを期待しています」

『特任助手任用事業〈女性限定〉』(大学院自然科学研究科)と『院生会』の活動

大学院自然科学研究科 住吉谷瞭歩 特任助手 當銘香也乃 特任助手

女性研究者のロールモデルとして

新潟大学では、大学院自然科学研究科博士後期課程に在学する女子学生を対象に、将来的に優秀な女性教員たり得る人材を育成することを目的として、特任助手を任用している。教育研究分野におけるキャリア支援が目的で、業務では女子学生の進学やインターンシップも含めた就職支援も行っている。特任助手の二人に、応募の動機と展望を聞いた。

「大学の研究や授業を補助?支援することは、自身のキャリアアップや研究を外に向けて発信していくことに繋がると思い応募しました。業務を通して、専門外の教員の方たちや学生との交流が増えたと思います。性別の垣根を越え、博士学生のロールモデルとなって、研究者としての姿や面白さを発信できればと思います」(住吉谷特任助手)

「研究者のすそ野を広げるためには、大学入学前の意識の芽生えが必要だと思い、中高生の進路相談会に参加させていただきました。研究に対する情熱や面白さ、“自分の力で知る喜び”を届けたいと思います。また、女子学生が博士課程に進む際、年齢や就職に関わる不安も多いと思いますが、人生と研究は天秤にかけるものではなく、研究者としてのあり方も様々で、いろんな可能性と選択肢があることを知ってもらいたいです」(當銘特任助手)

院生間の新たなコミュニティの場を創出

また、特任助手であるふたりの、もうひとつの活躍の場が「院生会」だ。これは大学院生主体の自由参加型コミュニティで、イベント企画などによる楽しく気軽な交流から院生の輪を広げ、互いの研究活動の発展を目指している。

「院生会のテーマは研究力の向上と院生同士の交流です。所属研究室の外での交流を深めるために『自分語り』や『研究発表会』など、テーマを設けた情報交換イベントを月ごとに開催しています」(住吉谷特任助手)

「研究室の外のつながりを広げたい」「研究の視野を広げたい」という院生を中心に約30名が参加。中には「大学院に進学したいが不安があるので、アドバイスがほしい」と参加する学部生もいる。

「参加者からは『知り合いが増えた』『研究室の外での交流が広がった』という声が上がっています。回を重ねるごとにお互いの人物像や研究理解を深め、最終的に領域を融合する研究に発展するきっかけをつくることが目標です。院生同士、探求心が共鳴するところは多いと思うので、互いの意欲や意識が活性化されていくような雰囲気を生み出していきたいと思います」(當銘特任助手)

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※記事の内容、プロフィール等は2022年2月当時のものです。

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掲載誌

この記事は、新潟大学季刊広報誌「六花」第39号にも掲載されています。

新潟大学季刊広報誌「六花」

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