牛木辰男学長、花角英世知事対談
【新潟日報別刷り特集/新潟大学創立75周年記念特集】新たな挑戦 大きな貢献 地域とともに歩む新潟大学 創立75周年を迎えて 牛木辰男学長、花角英世知事対談 輝く明日へ絆強める
今年、創立75周年の節目を迎えた新潟大学。「自律と創生」の理念の下、社会に新たな価値を生み出す「ライフ?イノベーション」のフロントランナーとして、新たな挑戦を続ける。同大の牛木辰男学長、新潟県の花角英世知事が対談。同大が進める教育、研究、社会共創について語り合うとともに、将来を見据えた連携の在り方を探った。司会は同大アンバサダーでフリーアナウンサーの宇賀神唯さんが務めた。(文中敬称略)
新潟大学の特色や将来像を語り合う牛木辰男?同大学長(右)と花角英世知事(中央)。聞き手はフリーアナウンサーの宇賀神唯さん(左)=新潟市中央区の新潟県庁
牛木学長「県民が開学後押し」 花角知事「挑戦の場整備に力」
<歴史>
宇賀神 新潟大学は、1949(昭和24)年に新制国立大学として開学しました。開学は県民の悲願だったと伺いましたが、設置に至るまでの経緯を教えてください。
牛木 本学は、国立学校設置法により新制大学の一つとして開学しました。開学には地元に大学相当の教育施設があることが条件であり、それが新潟医科大学でした。その根源は官立新潟医学専門学校(1910年設立)に始まります。新潟高等学校や長岡高等工業学校、県立農林専門学校などが一緒になり本学ができました。当時の知事が文部省(現文部科学省)に陳情したほか、県民から募金や署名が集まり、実現できました。もちろん、旧制高校や医科大の教授陣も一生懸命でしたが、県知事、県民に支えられてスタートしたと私たちは思っています。
花角 現在も大学に期待するものは大きいです。高度人材の育成や輩出、さまざまな地域課題の解決に向けて一緒に取り組んでもらえる、知のよりどころとしての期待があります。
牛木 国立大学の設置には大きな意味が二つあります。一つは外部から人を集める力を持っていること、そしてもう一つは本県の教育レベルの向上です。これが経済の活性化などに結び付くと、当時から考えられていたのでしょう。
花角 当時の知事が一生懸命動いたのは、そういうことへの期待があったと思います。優秀な人材を輩出する拠点があることが、その地域の価値につながります。
牛木学長「地域との共創使命」 花角知事「課題解決へ期待感」
<教育>
宇賀神 開学当初は6学部でしたが、現在は10学部の総合大学に発展しました。総合大学の強みは何ですか。
牛木 各分野の垣根を越えた学際的な力が今の社会に求められています。それは本学の器に非常に合っています。本学では5年ほど前から、メジャー?マイナー制を導入しています。自身の専攻分野(メジャー)だけでなく、他分野(マイナー)も体系的に学ぶことで勉学の幅を広げ、柔軟な思考力を養っています。
花角 今、学問の世界でも、さまざまな視点での切り口や考え方が当たり前になってきています。広い教育や研究ができる環境が整備されているのですね。
牛木 アントレプレナー(起業家)に興味がある学生をはじめ、起業した学生や卒業生らが集うコワーキング&カフェスペース「NOT THE UNIVERSITY」(ノット?ザ?ユニバーシティー)を五十嵐キャンパス内に設けました。会社の所在地として登記も可能です。ここで企業と学生の距離を縮め、学生が起業に挑戦しやすい環境を整えています。また、工学部などの定員数を増やし、デジタル人材の育成を目指しています。
花角 県でも、大学生に限らず起業に意欲のある若者が挑戦しやすい環境を整備するため、県内8カ所に民間スタートアップ拠点をつくってきました。また、新潟市の駅南地区で展開するイノベーション(技術革新)拠点「NINNO(ニーノ)」も大きな存在です。
私は、知事就任時から「何か新しいことに挑戦しましょう」と言ってきました。新しいことを始めることが地域や経済への刺激となり、新しい価値が生まれる。50代でも60代でも遅くなく、ちょっとした挑戦でもいい。一歩踏み出してもらいたいという思いがベースにあります。
牛木 本学での研究や教育の成果を基に起業したベンチャー企業を支援する「新潟大学発ベンチャー称号認定制度」も作りました。認定企業は本学の施設やロゴが使えます。起業家にとっては安心材料であり、セールスポイントになると喜ばれています。
花角 大学発ベンチャー企業の中から、革新的なアイデアで急成長するスタートアップ企業を育成、支援する「J-Startup NIIGATA」選定企業も生まれています。若い起業家の輩出へ向け、新潟大学は重要な役割を果たしています。それが地域の経済や社会を活性化させる大きな推進力になると考えます。
宇賀神 社会が高度化する中、大学院教育の重要性や必要性が問われています。新潟大学での大学院教育についてお話しください。
牛木 国立大学の使命として、学部学生の学士の輩出以上に、これからは大学院生の修士、博士を育て、地方の活性化に役立つことが重要な任務だと考えます。予測できない未来を切り開く力を持つ者が「Ph.D.」(博士)だと思います。そういう人材の輩出が本学の使命。そこで、各分野を融合し、学際的な大学院への変革を進めています。
宇賀神 大学では多様な研究が行われています。最近のトピックスを教えてください。
牛木 脳研究所を中心とした認知症研究から暑さに強いコメ作りまで、あまりに多く選びきれません。1月に起きた能登半島地震では、災害?復興科学研究所が新潟市内の液状化被害について調査し、報告しました。本学の災害研究が役立ったケースであり、今後の復興に欠かせません。
花角 県は県民の命と暮らしを守り、災害に強い県土づくりを進めています。研究所の所長には県の「防災対策検討会」で委員を務めてもらっています。
宇賀神 新潟大学では地域の夢の実現に向け、「共創IP(イノベーションプロジェクト)」=図参照=に取り組んでいるそうですね。
牛木 「新潟大学将来ビジョン2030」で「未来のライフ?イノベーションのフロントランナーになる」ことを本学のミッションに挙げました。その具体的な戦略の一つが、共創IPです。
大学が培った最新の科学、技術、学術の知を基に、地域と大学が組織的に連携する。「地域共創」によって、若者たちが活躍できる魅力的な地域へと新潟を発展させるためのプロジェクトです。食やコメ、地域医療DXなど、現在、六つの共創IPが活動中です。
花角 大学の研究機能やそこから得た成果、知見を実社会に取り込んでこそ、もっと価値が出ると思います。地域が抱える課題や関心、地域が持つ力と、大学が持つ知見や知識、知能、人材が合わさることで、より良いものが生まれる。地域にとっても課題解決に向けて前進できる。共創IPに期待しています。
牛木 これまでは「やりましょう」「そうですね」で終わっていた案件を、これからは大学から一歩踏み込み、外部の方に「やりませんか」と営業に力を入れます。営業ができる人材を「インパクトマネジャー」などとして雇い、つながりを築いていっています。
花角 大学側が意識してアクションに移す環境を整えることは感謝すべきことですが、同じように、地域側も事業を後押しする人や機能が必要です。
牛木 いずれにせよ、行動に移すことが一番大事です。
牛木学長「100周年見据え協力」 花角知事「若者が世界に飛躍」
<将来像>
宇賀神 新潟大学の未来、新潟県とのさらなる連携、協力についてはいかがですか。
牛木 創立75周年の節目というだけでなく、25年後の100周年を見据え、県との連携、協力を深めていきたいと考えています。25年後、世界はより複雑になっていると思いますが、新潟大学が地域と強く結びつき、地域にとって、なくてはならない存在であることが重要です。そうすれば、新潟という地方だけでなく、世界へ向けグローバルにも活動を展開できます。次のアクションが大事であり、県と一緒にぜひ取り組ませてもらいたい。
花角 新潟大学は知と人材の宝庫です。だからこそ75年前、当時の知事が先頭に立ち、設立へ向け動きました。そこには、大学が地域にできることで、新潟の価値や地位、格が上がるという思いがあったはずです。それは現在も変わりません。共創IPをはじめ、新潟大学には地域の課題を前進させる知見と人材があります。100周年へ向け、大学が地域のパートナーとして今まで以上に頼られる存在であってほしいですね。
牛木 一方で大学は若者が集まる場所であり、若者の活躍は地域の活性化にもつながります。また、グローバル化の観点から、留学生をより呼び込めるよう、新たな学生寮の建設も計画しています。寮の中で日本人と留学生が共存し、学べる場にしたいです。
花角 若者が大学で鍛えられ能力を伸ばし、世界で活躍する人材へと成長していく。そして、卒業後も新潟に住んでもらいたいです。また、海外から有望な人材が集まれば、地域はもっと活性化します。多くの若い世代を引きつける大学であってほしいです。
宇賀神 新潟大学と県がさらに歩み寄って、次の100周年に向けて、その取り組みが地域に広がることを期待しています。
【プロフィール】
<牛木辰男(うしき?たつお)> 1957年、糸魚川市出身。86年、新潟大大学院修了。岩手医科大、北海道大を経て95年、新潟大医学部教授に就任。同大医学部長、理事?副学長などを歴任し、2020年2月から現職。専門は顕微解剖学。
<花角英世(はなずみ?ひでよ)> 1958年、佐渡市出身。東京大法学部卒。82年に運輸省(現国土交通省)に入省。大阪航空局長、本県副知事、海上保安庁次長などを経て2018年6月から現職。現在2期目。
<新潟大学アンバサダー 宇賀神唯(うがじん?ゆい)> 1987年、新発田市出身。2012年、新潟大医学部卒。NHK新潟放送局、テレビ金沢を経て現在はフリーアナウンサー。24年6月、同大アンバサダーに就任した。